城山三郎 「粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯」 [読書]
難しいことはよくわからないが、激動する世界の中で、日本が迷走している。
そうした思いで、なんとか考えるヒントが欲しくて求めた本。
池田内閣の下、78歳で財界人として初めて国鉄総裁に就任した石田禮助。
生涯、直言を通し、国会での総裁就任の挨拶で、並み居る「先生方」に向かってこう述べる。
「嘘は絶対つきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうぞご勘弁を」
「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。 ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。 無理に使うと、マンキーが裃を着たような、おかしなことになる。 無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい」
「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」
いいね。
実際にこういう人物が身の回りにいたらと思うと少々身のすくむ思いがするが、
しかし、今の日本に必要なのは、こういう人物であるような気がする。
心の中で快哉の声を上げながら、電車の中で一気に読み進む。
だが、この小説の中で、どうしても忘れられない、忘れたくないのが以下の場面。
―
「安全」に対する石田の思い。
作者はこのように描く。
国鉄監査委員長時代、石田は「もうからなきゃやっちゃいかん」と、しきりに効率を説いてきたが、しかし、安全については例外としていた。
老朽化した青函連絡船の更新を強く推進してきたし、十河総裁が線路保守費を大幅削減することを決めると、石田は十河に迫って、全額復活させた。
総裁就任直後発表した一文の中でも、石田は書いている。
「風の向きによって、ときに夜汽車の響きが寝室にまでとどくことがある。深夜である。万物が平穏なひとときをひたすら貪っている時期に、なお起きていて職務に励む人のあることを思うと、厳粛な気持ちにならざるを得ない。“神よ、願わくは安全を守り給え”と祈る気持ちになる」
“神よ、願わくは安全を守り給え”
だが、その祈りは神に届かなかった。届く前に大事故が起こった。
三河島事故。160名を超す棺の列。石田はとりみだす。
作者は、さらに石田の動きを書き込んでいく。
数日後、自民党本部へ説明に行ったとき、石田は廊下で転び、腕の骨を折った。このため、葬儀の日には、入院中の病院から片腕を白布で吊って出かけた。磯崎が代行しようとしても、
「どうしても自分が行く」
と、聞かなかった。
だが、石田は嗚咽して、用意した弔辞をろくに読めなかった。
「人間としての基本」が、この場面にはあるような気がする。
さて、日銀総裁は誰になるのだろうか。
日本丸はどこに向かうのだろう。
こんな人、今の日本にはいなくなってしまったような・・・。
by kantaro (2008-03-18 19:52)
ご訪問、nice!ありがとうございました^^。興味深く読ませていただきました。「今の日本に必要なのは、こういう人物であるような気がする」・・・同感です。
by koto (2008-03-18 22:26)
>kantaroさん
コメントありがとうございます。
今の日本にはいないのかなぁ。
だとしたら・・・寂しいですねぇ。
by sonata (2008-03-18 22:45)
>kotoさん
コメントありがとうございます。
漱石、お好きなんですね。
いつもblogを楽しく読ませていただいています。
by sonata (2008-03-18 22:47)
こういう本、好きです。
読んでみます。
by ado-chan (2008-03-20 17:41)
>ado-chanさん
ご訪問&コメントありがとうございます。
読んで気に入っていただけたら光栄です(^^)。
by sonata (2008-03-21 00:54)